実施例による引用発明の認定、引用発明の認定の誤りが結論に影響しない場合

 新規性及び進歩性の判断にあたっては、本件(本願)発明の認定に続いて、それと対比されるべき主引用発明の認定が行われます。
 1つの引用例には、様々な発明が記載されています。引用例が公開公報である場合を例にとると、最も抽象的な(上位概念の)のアイデアは、一般には請求項1に記載されており、最も具体的なアイデアは、各実施例に記載されています。引用発明は、それらのうち、どれであっても構いません。
 請求項1から引用発明を認定する場合、その「発明」は、果たして技術として意味があるものであるのかという問題が生じることがあります。例えば、記載された内容が科学的にあり得ない場合です。もとも、日本では、引用発明とは本件発明と対比できる程度のアイデアであればよく、実施可能要件までは必要ないと解されています。
 その一方、実施例から引用発明を認定する場合、実施例どおりに寸分違わず具体的な構成を認定しなければならないのか、それとも、技術常識や明細書中の他の記載を参照して、実施例の字句からの乖離が許されるのか、許されるとしてもどの程度なのかという問題が生じます。
具体的な例は、以下のとおりです。実施例には、A+B+Cという構成が記載されているとします。しかし、技術常識からすると、Cは有った方が良いという程度の任意の要素であったり、公報の[発明の詳細な説明]には「Cは好ましい追加の要素である。」と記載されていることもあります。そのような場合に、引用例として「A+B」を認定してよいのかということが問題になります。

 本件発明との相違点を予め解消させておくため、引用例を本件発明に近づけて認定することは許されるべきではありません。
 しかし、技術常識や[発明の詳細な説明]から任意の要素であることが明らかな構成について、引用発明では任意の要素も組み込んで認定しつつ、進歩性の判断でその要素を除去することは容易であると判断することは、迂遠な手法でもあるでしょう。その一方、本件発明との関係では重要な要素については、引用例の認定の段階ではなく、相違点の判断で考慮する方が適切ともいえます。

 知財高判平成24年1月16日判決(平成23年(行ケ)第10130号)では、このような問題が、争点の一つとなりました。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120118085934.pdf
 この訴訟は、無効審判(審決の結論は、訂正を認め、特許を無効とするというものです。)の審決取消訴訟です。
本件発明3は、以下に引用するとおりであり、繰り返し粘着と剥離とが可能な気泡シートに関します。そのシートは、三層構造であり、クッション材(いわゆるプチプチ)のフィルム(クレームの「キャップフィルム」)の一方の側に「バックフィルム」を、他方の側に「ライナーフィルム」が設けられています。「ライナーフィルム」の材質により、粘着と剥離とを繰り返すことが可能になっています。

「多数の凸部が形成されたキャップフィルムと,
当該キャップフィルムの一方の面に設けられたバックフィルムと,
前記キャップフィルムの他方の面に設けられた一層からなるライナーフィル厶と,
を有する三層構造を備え,
内側に多数の気泡空間が形成されてなる気泡シートであって,
キャップフィルムおよびバックフィルムの原材料がポリオレフィン系樹脂であり,
ライナーフィルムの原材料が,ポリオレフィン系樹脂を30重量%以下含有する水素化スチレン・ブタジエン系共重合体とポリオレフィン系樹脂とのブレンド物であり,
前記ライナーフィルムは,前記ブレンド物を溶融押し出しし,融着することにより前記キャップフィルムに直接設けられ,
前記バックフィルムの背面である,前記キャップフィルムと接しない面に,前記気泡空間の直径及び配置ピッチの円形の凹部を形成した気泡シート。」

 審決では、引用発明は、公開公報の図5から認定されていました。図5では、
・気泡を形成するポリオレフィンフィルム10
(本件発明3のキャップフィルムに対応)と、
・粘着及び剥離に寄与する[ポリオレフィンフィルム31+粘着剤層32]
(本件発明3のライナーシートに対応;ただし、1つの層であるライナーシートとは異なり、基材(ポリオレフィンフィルム31)+粘着剤層という2つの層で形成されている。)
との間に、両者を融着するため、熱賦活性樹脂層32が設けられていました。
 審決では、別の図(図1及び2)に関する記載の中に、熱賦活性樹脂層が任意の要素である旨の記載があることに基づいて、図5についても熱賦活性樹脂層は任意の要素であると認定し、引用発明では、熱賦活性樹脂層を省略していました。
 しかし、判決では、この認定は誤りであるとされています。その理由として、審決の依拠した記載は、別の図に関する記載であることが指摘されています。

 この判決では、審決の上記認定の誤りについて、興味深い展開が続いています。つまり、審決において引用発明の認定に誤りがあり、その結果、相違点の認定にも誤りがあるものの、結論に影響のあるものではないと判断されているのです。
確かに、引用例の図5に基づく引用発明の認定では、熱賦活性樹脂層を省略することはできません。しかし、他の先行文献により、出願時の技術水準からすると、熱賦活性樹脂層は必要不可欠とはされていなかったとの認定がなされ、上記の相違点の構成は、当業者が容易に想到し得るものであったと判断されているのです。

 一般的には、引用発明の認定の誤りは、相違点の認定の誤りに繋がることが多く、相違点の認定の誤りが生じると、多くの場合、審決には結論に重大な影響を及ぼす違法があります。
 しかし、今回のような事実関係の下では、新規性で処理するか進歩性で処理するかの違いしかなく、あえてこの争点について審判で審理判断させる必要は乏しいといえます。