損害賠償請求に対するFRAND宣言による権利濫用の抗弁

 東京地判平成25年2月28日(平成23年(ワ)第38969号)は、一連のスマホ訴訟の一つであり、アップル(X)が、サムスン(Y)に対し、損害賠償債務の不存在の確認を求めた事件です。裁判所は、Yが、問題の特許は標準規格の必須特許であることを理由にFRAND宣言をしていたにもかかわらず、Yに対し必要な情報を開示せず、誠実に交渉しなかったことを根拠として、Yの損害賠償請求は権利濫用にあたると判断しました。

 これまで、日本では、FRAND宣言を法的に判断した事例は見当たりません。差止請求については、FRAND宣言の対象である権利を行使することは、権利濫用にあたり認められないとの見解が有力に唱えられてきましたが、損害賠償については、議論も深まっておらず、むしろ許容されるとの見解もあったところです。しかし、この事案で、裁判所は、損害賠償を否定しました。


 裁判所は、まず、権利濫用の類型として、「契約交渉に入った者同士の間では、一定の場合には、重要な情報を相手方に提供し、誠実に交渉を行うべき信義則上の義務を負うものと解するのが相当である。」と判断しました。
 そして、Yは、標準化団体(具体的には、ETSI)の会員として、第三者FRAND条件でのライセンスを希望する旨を申し出る場合、当該第三者との間でFRAND条件でのライセンス契約の締結に向けた交渉を誠実に行うべき義務を負っており、第三者と契約締結準備段階に入った後には、重要な情報を相手方に提供する義務を負うと判断しました。

 このような判断の背景には、Yの提示したライセンスの料率が、一般的に予想されるものよりも相当に高かったという事情の存在がうかがわれます(具体的なライセンス条件の提案は、黒塗りとなっているため、明確ではありません。)。
 問題の標準規格には、1889個の特許ファミリーがあるところ、Yが保有しているファミリーは103個にとどまっており、しかも標準規格全体での料率が5%であるようです。したがって、各ファミリーの重みが同等であるとすると、Yの料率は、0.3%を下回ります。もちろん、ファミリーの間で重要性には違いがあるため、単純に数の問題に帰着することはできません。しかし、自ら保有するファミリーが重要であると主張するのであれば、その根拠を示す必要があります。したがって、権利者に対し、相手方に自らの主張を裏付ける情報を開示する義務を負わせることには、合理性があります。


 誠実交渉義務違反が損害賠償請求の抗弁になるとすると、権利者が回収できる金額は、どのようなものになるのでしょうか。
 
まず、権利者が誠実に交渉する場合を想定してみます。
[将来分]
 権利者が申込者と誠実に交渉し、標準化団体の定める「合理的」な額のロイヤルティに合意すると、その時点以降のロイヤルティは、その額です。

[申込みから合意まで]
 申込者からの申込みを受けてから合意に至るまでの期間、申込者が特許発明を実施している場合、その期間の実施について、102条1項又は2項による損害額が認められるとすると、権利者には、交渉期間を長くするインセンティブが働いてしまいます。標準化団体の規約にもよりますが、そもそも、標準化団体の会員は、合理的なロイヤルティでライセンスを付与する義務を負っているのですから(102条1項及び2項の適用を放棄したともいえます。)、合理的なロイヤルティ(102条3項)しか回収できないとする方が妥当であるように思います。
 申込み以前の実施行為についても、同様です。


 次に、権利者が、当初、誠実に交渉に応じない場合を想定してみます。
[将来分]
 最終的に「合理的」な額のロイヤルティに合意すると、その時点以降のロイヤルティは、その額です。

[誠実な交渉に転じてから合意まで]
 当初から誠実に交渉した場合よりも有利な立場が与えられるべきではありません。この場合も、ロイヤルティは、「合理的」な額になるはずです。


[誠実な交渉に転じるまで]
 上記判決によると、損害賠償を請求することはできません。
 もっとも、不当利得として合理的ロイヤルティを請求できるのかという問題が残ります。しかし、不当利得として損害賠償と同額を請求できるとすると、権利者には、誠実に交渉するメリットがありません(業界内のレピュテーションや、裁判所に「合理的」な額を決めてもらうことの不確実性は別です。)。誠実に交渉してもしなくても同じ額が得られるのであれば、誠実に交渉しないとことに合理性があります。したがって、損害賠償を否定するのであれば、不当利得も否定するべきです。