侵害主体と私的使用のための複製

個人が全ての作業を自らの労力と費用で行うと、その行為が私的使用のための複製(著作権法30条)に該当し、著作権が及ばない場合でも、その一部を営利目的の業者に委託すると、受託した業者の行為が問題になります(最近の自炊代行業者の事件(東京地判平成25年9月30日及び同平成25年10月30日)。

 このような事案の判断にあたり、まず、侵害主体の認定が行われる場合、業者が侵害主体であると認定され、その認定によって結論が出てしまいます(業者の行為について、私的使用のための複製について判断するまでもありません。)。当事者が、私的使用のための複製の枠組みで主張をしていても、侵害主体の枠組みで議論は止まってしまいます。判決文も、権利者の請求認容という結論を出す場合には、まず侵害主体の認定を行い、私的使用の主張は門前払いとなってしまいます。

 当事者としては、おそらく、判断してもらいたかったことを判断してもらえなかった、裏側で判断されてしまったというフラストレーションは溜まるのだろうと想像します(最近の田村先生の論文での「利用行為の主体論とは別個の法理である私的複製による著作権の制限を規定する 30 条1 項の適否が問題となる以上、利用行為の主体論だけで最終判断をしたり、利用行為主体論の判断をそのまま援用するのではなく、30 条 1 項の趣旨に則した判断をなす必要があるというべきである。」も参照)。


 しかし、侵害主体の判断と私的使用のための複製の判断とが完全にコインの表と裏との関係にあるなら、どちらで判断しても、同じ結論に至るはずです。わかりやすい方で判断することに問題があるわけではありません。

 もっとも、業者が侵害主体には該当せず、個人の行為が私的使用のための複製であったとしても、業者を不法行為責任に問う余地があるのであれば、侵害主体の判断だけでは足りない(つまり、両者はコインの表と裏ではない)ということになります。個人の行為について、当該個人に限り、違法性又は責任を阻却しているのであれば、業者については、別途、不法行為責任を問うということも可能かもしれません。しかし、権利が及ばない範囲について、過失を観念することは、難しいようにも思います。