著作権の保護期間と過失

 格安DVDの著作権侵害の事案で、知財高裁が過失を否定して損害賠償請求を棄却した件(知財高裁平成22年6月17日)につき、最高裁が破棄差戻しの判決を下しています(最判平成24年1月17日)。

著作権の保護期間]
 格安DVDの事案での争点は、著作権の保護期間がいつ満了するのかという点にあります。
 存続期間について、旧著作権法(「旧法」)は、映画の著作物のうち独創性のあるものについて、保護期間を3条ないし6条及び9条によるとしていました(22条の3)。そして条、5条及び6条は、著作名義の実名、無名・変名、団体によって異なる規定を置いていました(注:9条は、期間の計算にあたって翌年から起算することを規定した条項です)。

・3条1項:発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ著作者ノ生存間及其ノ死後30年間継
続ス
2項:数人ノ合著作ニ係ル著作物ノ著作権ハ最終ニ死亡シタル者ノ死後30年間継
続ス
・4条 著作者ノ死後発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ発行又ハ興行ノトキヨリ30年
間継続ス
・5条 無名又ハ変名著作物ノ著作権ハ発行又ハ興行ノトキヨリ30年間継続ス但シ其ノ期
間内ニ著作者其ノ実名ノ登録ヲ受ケタルトキハ第3条ノ規定ニ従フ
・6条 官公衙学校社寺協会会社其ノ他団体ニ於テ著作ノ名義ヲ以テ発行又ハ興行シタル著
作物ノ著作権ハ発行又ハ興行ノトキヨリ30年間継続ス

 さらに、52条1項によって、3条ないし5条の保護期間は、「当分の間」38年に延長され、同上2項によって、6条の保護期間は、33年に延長されていました。

 3条と6条とを比較すると、著作者名義が自然人であれば、38年の起算点がその人の死亡の翌年になるため、保護期間の満了も遅くなります。しかし、著作者名義が団体であれば、起算点は公表の翌年であるため、保護期間の満了は早くなります。できる限り著作権を延命させるためには、著作名義を自然人とし、その著作権を団体が譲り受けたという法律構成にした方が、得策というわけです。

知財高裁平成20年7月30日]
黒沢映画事件の知財高裁平成20年7月30日(差止請求のみの事案です。)では、問題となった映画に対し、旧法の3条と6条との何れが適用されるのか、つまり、著作者名義が黒沢明監督であるのか、映画会社であるのかが争点となりました。

 まず、旧法下での著作物について、著作者の意義が問題となります。現行法15条(職務著作)と同様に、旧法下でも法人が著作者となり得るのであれば、映画会社も著作者となり得ます。その場合には、旧法6条の適用の可能性があります。
 知財高裁平成20年7月30日では、東京高判昭和57年4月22日を引用して、旧法下でも現行法15条の要件を備える場合には法人が著作者となり得る場合があることを認めました。しかし、控訴人(一審被告)による上記要件についての主張立証がないことを理由に、控訴人の主張(問題の映画が映画会社の単独著作物であるとの主張)を斥けました。

 次に、旧法下での映画の著作物について、誰が著作者であるのかが問題となります。知財高裁平成20年7月30日では、旧法下でも、現行法と同様に、映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者が映画の著作物の著作者であると判断しました。そして、問題の映画では、黒沢明監督が著作者の一人であると認定しました。

 問題となった映画では、オープニングの冒頭に「製作・配給」などとして映画会社の名称も表示されるとともに、その最後に監督の名前も表示されていました。判決では、映画会社の表示は、映画製作者又は映画配給会社を示すものであり、監督の表示が著作者を示すものであると認定されました。

 なお、この事案では、監督以外にも著作者がいる可能性があることは指摘されています。しかし、他の著作者がいたとしても、その著作権も、映画会社に明示的に又は目次的に譲渡されたという認定がなされています。


知財高判平成21年1月29日]
 知財高判平成21年1月29日は、知財高裁平成20年7月30日と類似の事案について、差止請求のみならず損害賠償請求もなされました。そこで、損害賠償との関係で、過失の有無も争点となりました。もっとも、旧法下での保護期間を誤信したことについて過失がないという控訴人(一審被告)の主張は、一蹴されています。


[原審(知財高裁平成22年6月17日)]
 今回の事案は、監督が黒沢明氏以外の方であるという点を除くと、上記の裁判例と同様です。ところが、原審は、以下のとおり述べ、過失を否定しました。

「旧著作権法における映画の著作物の著作者については,原則として自然人が著作者になるのか,例外なく自然人しか著作者になり得ないのか,映画を制作した法人が著作者になり得るのか,どのような要件があれば法人も著作者になり得るのかをめぐっては,旧著作権法時代のみならず,現在でも学説が分かれており,これについて適切な判例や指導的な裁判例もない状況であることは,証拠(甲4,86ないし89,乙1ないし7等)に徴するまでもなく,当裁判所に顕著である。
著作権法下における映画著作権の存続期間の満了の問題については,シェーン事件における地裁,高裁,最高裁の判決が報道された当時,法律家の間でさえ全くといってよいほど正確に認識されておらず,この点は,チャップリン事件の地裁,高裁,最高裁の判決が出た今日でも,同事件に登場してくるチャップリンが原作,脚本,制作,監督,演出,主演等をほぼすべて単独で行っているというスーパースターであるため,十分な問題認識が提起されたとはいえない。この問題が本格的に取り上げられるようになったのは,映画の著作権を有する会社が,我が国で最も著名な映画監督の1人といえる黒澤明の作品について,本件の原告等が本件の被告に対し本件と同種の訴訟を提起したことに事実上始まっているにすぎない。そして,チャップリン事件では,最高裁は先例性のある判断を示しているが,黒澤監督の作品では,黒澤監督以外に著作者がいることが想定されており,明らかにチャップリン事件よりも判例として射程距離が大きく判断も難しい事件であるところ,最高裁は上告不受理の処理を選択し,格別,判断を示していない。そして,本件各監督は,有名な監督ではあるが,黒澤監督の作品よりも,その著作者性はさらに低く,自然人として著作者の1人であったといえるか否かの点は判断の分かれるところである。
そうであるとすれば,本件において,何人が著作者であるか,それによって存続期間の満了時期が異なることを考えれば,結果的に著作者の判定を異にし,存続期間の満了時期に差異が生じたとしても,被告の過失を肯定し,損害賠償責任を問うべきではない」

最判平成24年1月17日]
 最高裁は、一般に、映画監督は、映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与し得る者であり、この事案でも、その氏名が監督として表示されるなどの事業があるため、映画監督が著作者として認識されうる状況にあった旨を述べ、さらに、被上告人(原審控訴人、一審被告)による以下の無過失の主張を排斥しました。

ア 旧法下の映画については,著作権の存続期間について一律に旧法6条が適用される。
← 旧法3条が著作者の死亡の時点を基準に著作物の著作権の存続期間を定めることを想定している以上,映画の著作物について,一律に旧法6条が適用されるとして,興行の時点を基準にその著作物の著作権の存続期間が定まるとの解釈を採ることは困難であり,上記のような解釈を示す公的見解,有力な学説,裁判例があったこともうかがわれない。


イ 本件各映画は,団体名義で興行された映画であるから,著作権の存続期間については,旧法6条の適用のある団体名義の著作物に当たる。
← 団体名義で興行された映画は,自然人が著作者である旨が実名をもって表示されているか否かを問うことなく,全て団体の著作名義をもって公表された著作物として,旧法6条が適用されるとする見解についても同様である。

ウ 本件各映画は,いわゆる職務著作(以下,単に「職務著作」という。)として,実際に創作活動をした本件各監督ではなく,映画製作者である上告人又は新東宝が原始的に著作権を取得し,著作権の存続期間については,旧法6条が適用される。
← 旧法下の映画について,職務著作となる場合があり得るとしても,これが,原則として職務著作となることや,映画製作者の名義で興行したものは当然に職務著作となることを定めた規定はなく,その旨を示す公的見解等があったこともうかがわれない。

 
 確かに、被上告人の主張は、旧法の法律解釈としては無理があります。旧法下の映画には一律に6条が適用される、団体名義で興業されると全て団体の著作名義をもって公表された著作物として6条が適用されるというのは、行き過ぎであるように思います。
 しかし、実際の争点は、法律の解釈というよりも、映画のオープニングで映画会社が「製作」「配給」と明示されているという事実関係の下で、その表示が著作名義を指すものだと誤信したことを責められるのかという点であるように思います。最後に監督の氏名が表示されていたとしても、映画は職務著作物で映画会社が著作者だと信じる人が出てきても不思議ではありません。そもそも、映画会社を著作者とするよりも、監督が著作者となって原始的に著作権を取得した後に映画会社に譲渡すると、保護期間が長くなるという理論構成に、どれだけの合理性があるのか、という疑問があります。
 リスクを取ってビジネスを開始する以上、リスクが顕在化したときの責任を損害賠償という形で負うことは、当然の帰結ではありますが、実際のところ、このような事案では、過失がないという事態はおよそ考えにくいことになってしまいます。