侵害訴訟と無効審判での結論の相違

 クレンジングオイルの特許の侵害訴訟と無効審判とで、無効に関する結論が分かれています(東京地判平成24年5月23日(平成22年(ワ)第26341号)及び無効2010−800204)。
 両者とも、主引例(特開2006−225403号公報)は同一です。裁判所では、進歩性欠如の無効の抗弁を認めませんでしたが(つまり、特許は有効と判断しましたが)、特許庁は、特許は無効と判断しました。
その理由として、以下の3点が挙げられます。

(1) 被告の主張の一部は、訴訟では、時機に遅れた攻撃防御として、却下されています(民訴157条1項)。
(2) 主引例は裁判と無効審判とで同一ですが、主引用発明が異なっています。無効審判では、主引例の実施例12から主引用発明が認定されていますが、訴訟では、実施例よりも前の一般的な記載から、主引用発明が認定されています。その結果、訴訟の方が、相違点の数が増えています。
(3) 相違点には、訴訟と無効審判とで共通するものもあります。しかし、当該相違点の判断が、訴訟と無効審判とで異なっています。

 (1)で却下された被告の主張は、主引用発明に関するものであったようです。したがって、(2)は、(1)から派生するものです。さらに、後述するとおり、(3)は、(2)の影響を受けています。
 したがって、主引用発明を主引例のどの箇所から認定するのかという点に関し、被告の主張が却下されたという経緯が、結論に影響を及ぼしています。

[(1)時機に遅れた攻撃防御]
 無効審判では、主引例の実施例12に基づく「無効理由2」によって無効との判断が下されました。この無効理由2について、審決では、以下の説明がなされています。

「請求人は、審判請求書の無効理由2の具体的請求理由において、甲第1号証の実施例12に基づく進歩性否定についての主張は特に明示的に示していないが、口頭審理(第1回口頭審理調書参照)において、当審から甲第1号証の実施例12に基づく容易性について言及し、請求人に対し主張の補足説明を求めた。以下の(請求項1)についての主張は、平成23年6月30日付け上申書の無効理由2についての補足説明における主張である。」

 無効理由2については、合議体が釈明を促したことがうかがえます。
 被告は、訴訟でも同様の主張を試みました。しかし、審理が損害論に移っていたため、その主張は、時機に遅れたものとして却下されています。
 以上のとおり、無効審判で決め手となった「無効理由2」は、訴訟では審理されていません。

[(2) 主引用発明]
<本件発明>
 まず、本件発明(請求項1のみ)について説明します。

クレーム

 本件発明のクレンジング用組成物は、(A)ないし(D)の4成分(油剤(A);デキストリン脂肪酸エステルと(B);炭素数8〜10の脂肪酸とポリグリセリンエステル(C);陰イオン界面活性剤(D))を含有します。(B)及び(D)には、さらに限定が加わっています

油剤(A)と
デキストリン脂肪酸エステル(B)と
素数8〜10の脂肪酸とポリグリセリンエステル(C)と
陰イオン界面活性剤(D)を含有する油性液状クレンジング用組成物であって、
デキストリン脂肪酸エステル(B)が、パルミチン酸デキストリン、(パルミチン酸/2−エチルヘキサン酸デキストリン、ミリスチン酸デキストリンのいずれか又は複数であり、
陰イオン界面活性剤(D)が、ジ脂肪酸アシルグルタミン酸リシン塩・・・アルキルリン酸塩のいずれか又は複数であることを特徴とする
油性液状クレンジング用組成物。

解決課題
 本件発明の課題に関し、本件明細書には、
「手や顔が濡れた環境下で使用することができる透明な油性液状クレンジング用組成物を提供することである。」(段落0004)
 という一文があるのみです。

 従来技術に関し、本件明細書には、概略、以下の記載があります。
(a)従前、油性クレンジング料は、水で濡れた皮膚に使用すると、乳化物や懸濁物となって白濁した。
(b)そこで、水が加わっても白濁しないよう、あらかじめ水を配合したものであるか、水を多量に可溶化できるように設計されたものが登場した。
(c)しかし、これらの製品では、粘度が低かった。粘度が低いと、手への取りにくさや手指からの垂れ落ちが問題であった。
 段落0004は、上記の(a)及び(b)にしか触れておらず、本件発明の本来の課題を十分に反映したものとはいえません。段落0004に記載の課題は、従来技術で既に解決しています。

<主引例の実施例12>
 主引例の油性ゲル状クレンジングは、以下の4成分を含有します(請求項1)。

1 ) 長鎖疎水基と親水基とを分子内に2 個以上ずつ有する多鎖多親水基型化合物の1 種以上、
2 ) 分子内に水酸基を2 個以上有するポリヒドロキシル化合物の1 種以上、
3 ) 油性成分の1 種以上、及び
4 ) H L B が2 〜 1 4 であるノニオン性界面活性剤を含有することを特徴とする油性ゲル状クレンジング。

 実施例12の各成分を請求項の1)ないし4)及び本件発明の(A)ないし(D)に割り当てると、以下のとおりです。
・製造例1の界面活性剤(ジラウロイルグルタミンリシンナトリウム)
 → 1)かつ(D)のジ脂肪酸アシルグルタミン酸リシン塩
・セスキカプリル酸ポリグリセリル
 → 4)かつ(C)
・ジオレイン酸ポリグリセリル
 → 4)
グリセリン
 → 2)
・オクタン酸セチル
 → 3)かつ(A)

したがって、本件発明と実施例12の発明と実質的な相違点は、デキストリン脂肪酸エステル(B)(パルミチン酸デキストリン、(パルミチン酸/2−エチルヘキサン酸デキストリン、ミリスチン酸デキストリンのいずれか又は複数)の有無のみです。実施例12の発明の組成物は、デキストリン脂肪酸エステル(B)を含有していません。
しかし、訴訟では、主引用発明が実施例12によるものではないため、相違点が増えています。

[(3) 相違点の判断]
 (2)で説明した相違点の構成が当業者にとって容易か否かは、無効審判でも訴訟でも判断されています。
 もっとも、訴訟では、被告の主張の一部が却下されたこともあり、相違個々の相違点について詳細な判断には至っていません。

<無効審判>
 無効審判の判断は、以下のとおりです。

「甲第1号証の実施例12においては、本件発明の構成要件Bの「デキストリン脂肪酸エステル」の記載がない。
しかしながら、甲第1号証には、油性クレンジングにおいてデキストリン脂肪酸エステルとしてミリスチン酸デキストリン、パルミチン酸デキストリンを添加することができることが記載されている(【0062】、【0075】)。特に【0062】には、公知のゲル化剤として、ミリスチン酸デキストリン、パルミチン酸デキストリンが記載されている。またさらにミリスチン酸デキストリン、パルミチン酸デキストリンを油性液状クレンジング組成物の粘性の調製のために、必要に応じて添加し、その粘度を調節して、塗布性、使用性、保存安定性を向上させる技術については、出願時において周知技術でもある(参考資料1(特開2003−113024号公報)の請求項1、【0002】、【0016】、【0032】:参考資料2(特開2002−255727号公報)の【0007】〜【0015】:参考資料3(特開2003−252726号公報)の【0011】、【0012】:参考資料4(特開2001−288036号公報)の請求項2、【0009】:参考資料5(新化粧品ハンドブック)の678〜681頁「油系増粘・ゲル化剤」としてデキストリン脂肪酸エステルが化粧品である透明なゲルクレンジングに用いられることが記載)。
そうすると、実施例12の油性クレンジング組成物において、クレンジングとして所望の使用性等に応じてその粘度を調節するためにミリスチン酸デキストリン、パルミチン酸デキストリンを適宜添加配合することは当業者が通常成し得る事項である。」

 この判断の背景となる事情として、実施例12のクレンジング剤の評価が、

「得られた油性ゲル状クレンジングは乾燥した手、濡れた手のいずれでも快適に使用するこ
とが出来た、外観は透明〜 半透明で、安定性、水の接触角評価、残油感の官能評価、かさ
つきの官能評価の何れもが○ であった。」(【0092】)

というものであったということが重要です。

 この記載によれば、このクレンジング剤は、濡れた手でも使用することができ、透明〜半透明(つまり、白濁しない)というものでした。つまり、本件明細書【0004】に記載された課題は、主引例の実施例12では解決済みであり、粘度を調整して高くすることのみが残されていたということになります。
 そして、その課題が周知であったとすると(塗布性を変えるためには粘度を調整すればよいことは、容易に理解できます。)、その解決手段としてミリスチン酸デキストリン及びパルミチン酸デキストリンによる粘度調整の技術が主引例そのものに記載されているのですから、当該手段を実施例12に適用して相違点を解消することは容易です。

<判決>
 判決では、裁判所が被告の新規性欠如の主張を善解して進歩性欠如の主張を判断していること、さらには前述の事情により相違点が絞られなかったということもあり、個々の相違点について詳細な判断には至っていません。

 判決での判断は、以下のとおりあっさりとしたものです。
 
「このように各評価要素について適切であると評価されている乙2の1発明について(注:実施例12について【0094】に記載のあることは、前述のとおりです。),これに加えて,本件発明1に係る作用効果(手や顔が濡れた環境下で使用できる,透明であり,かつ,使用感に優れた粘性を有した油性液状クレンジング用組成物であること)を得るため,(B)ないし(D)成分のうち,各実施例において欠いているものを必須成分として加える動機付けはないものというべきである。」


 もっとも、判決の上記判示事項は、奇異な印象を受けます。
 特許明細書において、発明者が自分の実施例について未だ問題が残っていると記載することは、稀です。発明者にとって、明細書は、自己の発明が如何に優れているかを説明するための書面です。したがって、明細書で実施例が「各評価要素について適切であると評価されている」ことは、当然です。そのような記載があるからといって、実施例が完璧無比なわけではありません。大抵の場合、さらに改良の余地があります。業界の技術者は、更なる改良を試みて、新たな出願を行います。そして、その明細書でも、実施例について「適切であると評価されている」のです。

 実施例について良好な評価がなされているからといって、「各実施例において欠いているものを必須成分として加える動機付けはないものというべきである。」というのは、言い過ぎであり、RDの実情から乖離した議論です。

 判決には、同様の趣旨で

「乙2の1発明の油性ゲル状クレンジングは,デキストリン脂肪酸エステルを必須成分としなくとも,既に透明〜半透明であり,かつ,ゲル状のものであることが開示されているのである。したがって,このような油性ゲル状クレンジングを,透明かつ適度な粘性のものとするため,他の手段を検討する動機付けはないというべきである。」

との記載もあります。この判示にも、勇み足という印象を受けます。


 この判決には、そのほかにも、不適切ではないかと思われる点があります。

 主引例では、2 ) 分子内に水酸基を2 個以上有するポリヒドロキシル化合物の1 種以上(実施例12ではグリセリン)が必須の成分です。本件発明では、この成分2)は、必須の成分ではありません。
 しかし、本件発明で成分2)がディスクレームされていない以上、先行技術で成分2)が含まれているか否かは、新規性及び進歩性の判断には何も影響を与えません。
 それにもかかわらず、判決は、「乙2の1発明に係る油性クレンジングから,2)成分を除外して任意成分とすることにつき,示唆又は動機付けはないものというべきであ
る。」と述べています。


 訴訟では、主として新規性欠如の無効理由が争われていたという経緯があります。その結果、判決でも、本件発明は(A)ないし(D)成分を組み合わせることによりその作用効果が発揮される旨の記載があります。

「本件発明1は,(B)成分及び(D)成分につき,その種類を限定し,かつ,(C)成分につき,その炭素数を限定した上で,これらの(A)ないし(D)成分を必須成分として組み合わせることにより,争点 (1)イに関する当裁判所の判断でみた本件発明1の作用効果(手や顔が濡れた環境下で使用できる,透明であり,かつ,使用感に優れた粘性を有した油性液状クレンジング用組成物を提供すること)を奏することができることを開示したものである」

 この点はその通りではあるのですが、本件発明の作用効果を各成分の機能に還元するのではなく、「複数の成分を組み合わせると予想外に様々な作用効果が発現した」と理解するのであれば、その理解は実態に即したものであるのが、疑問があります。