出願日の技術水準と予想外の効果、予想外の効果による進歩性と記載要件との関係

 進歩性の考慮要素に、予想外の効果があります。
典型的な例が、AとBとの組み合わせによって、相加効果を超えた相乗効果が現れる場合です。化学や医薬の分野では、相乗効果が予測できる場合は、例外的です。
 
 他の例として、当時の技術水準では、必要条件は判明しているものの、十分条件はわからないという場合があります。例えば、患者の症例から、ある疾患の発症と、特定の物質の組織への蓄積との間に相関が見出されたとします。そこで、その疾患の治療又は予防には、その物質の蓄積を避ければよいという仮説が浮上します。この仮説の下では、当該物質の蓄積を防止する物質の発見が、最初のスクリーニングのステップであり、当面の目標です。
しかし、スクリーニングを通過した剤のうち、最終目的も実現する成功例はごく一部のみということもあります。その場合、スクリーニングを通過しても、大半のものは失敗に終わります。
このような場合、仮説が未だ不十分といわざるを得ません。最終目的を達成するためには、さらに別の条件があるのですが、その条件は未だ解明されていないのです。つまり、必要条件しか判明していません。必要条件を満たすものが見つかったとしても、最終目的を達成するか否か、依然として不明なままです。したがって、最終目的が実際に達成されることを見出したとすると、その結果は、当業者の予想を超えたものといえます。


 知財高判平成24年5月28日判時2155号89頁での争点は、上記の事項と類似しています。
 この事案は、拒絶査定不服審判の審決取消訴訟です。審理対象であるクレームは、以下のとおりです。審決は、進歩性を否定しましたが、裁判所は、その審決を取り消しました。

「細胞傷害性の遺伝子産物をコードする異種配列に機能的に連結されたH19調節配列を含むポリヌクレオチドを含有する、腫瘍細胞において配列を発現させるためのベクターであって、前記腫瘍細胞が膀胱癌細胞または膀胱癌である、前記ベクター。」

 このクレームは、いわゆる自殺遺伝子治療を意図しています。H19遺伝子は、多数の腫瘍(膀胱癌も含まれます。)で発現することが知られていました。H19調節配列は、腫瘍細胞で活性を示すことが期待できます。そこで、H19遺伝子が発現する際、その細胞に傷害を加えることにより、原理的には癌細胞を死滅させることが可能です。
このようなアイデアは、既に公知でした。主引用発明では、アデノウイルスに腫瘍特異的に発現させることのできる発現シグナルを、発現すると毒性のある産物に産生することになる異種配列とともに組み込んでベクターとし、このベクターを標的となる腫瘍細胞に感染させて、感染後発現した異種配列に係る毒性産物で腫瘍細胞を傷害する発明でした。
もっとも、このアイデアがどのような系にも有効であったのかというと、そうではありませんでした。むしろ、当業者の認識は、このアイデアは十分に成功していないというものでした。成功していない理由には、導入した遺伝子が期待通りに発現しない、宿主の免疫反応が障害となるなどが挙げられていました。
 したがって、H19調節配列で成功したという成果は、予想外のものであったといえます。

 もっとも、この出願には、記載要件の観点から、2つの問題が残されています。
 
 まず、H19調節配列が、偶々、自殺遺伝子治療に適したものであったのではなく、特別の工夫をして初めて発現するという場合を考えてみます。一般には、導入した遺伝子が期待通りに発現しない、宿主の免疫反応が障害となるなど、自殺遺伝子治療の実現にあたって課題が残されています。その状況は、H19調節配列でも同様であったところ、特別の工夫を加えることによって初めて、腫瘍細胞を死滅させることができたとします。その場合に、最初の成功者に、H19調節配列すべてについて、権利を与えてよいのでしょうか。
 最初の成功者に対しH19調節配列すべてに権利を与える場合には、第三者が、後に、別の工夫によってH19調節配列での自殺遺伝子治療を実現しても、そのような行為は侵害になってしまいます。

 次に、本事案では、データの後出しの問題があります。審判段階で、詳細な実験成績報告書が証拠として提出されたようですが、本願明細書での実施例の記載は、簡単なものです。実験の手順の記載の後、結果について

「シュードモナス毒素の発現は、マウスの実験群からの膀胱腫瘍内のH19の発現と同時局在化することがわかる。さらに、マウスの実験群内の膀胱腫瘍は、マウスの対照群内の膀胱腫瘍に比べてサイズ及び壊死が減少している。」(【0078】)

との簡単な記載があるのみです。しかも、この実施例は、過去形ではなく現在形で記載されています。このような記載に基づいて、補充的なデータの提出が許容されるか否かという問題があります。
 もっとも、本願明細書では、具体的な配列として記載されたのは、H19調節配列のほかに、IGF-2 P4プロモーター及びIGF-2 P3プロモーターの合計3つのみです。この記載に照らし、この事案では、それなりの根拠と確証を持って、出願をしたと考える方が合理的です。
データの補充を無制限に認める場合の懸念は、出願人によっては、根拠もなく投網的に様々な例を列挙しておき、後になって実証できた例だけにクレームを限定するのではないかというものです。もっとも、この事案は、そのような類型には当たらないように思います。