「裁判所は、サイエンス的発想が弱い」

田原睦夫・元最高裁判事の講演録が、金融法務事情1978号に掲載されています。非常に興味深い内容が多々盛り込まれているのですが、その中には、「そういうのを見ていると(注:最判平24.2.8刑集66巻4号200頁及び最判平23.10.31判時2152号15ページ)、裁判所が、ケミカルを含めて、サイエンス的発想があまりに弱いなということは感じます。」との一説があります。ちなみに、前者の田原反対意見の冒頭及び末尾には、

「私は,本件は一般に広く用いられている工業技術にかかる製品の瑕疵の有無及びその瑕疵に関する関係者の予見可能性の有無が基本的な論点となっている事件であり,その審理に当たっては科学技術的な観点からの十分な立証がなされるべきものであるにかかわらず,本件記録を検討する限り科学技術的な検証は極めて不十分であると言わざるをえず,かかる不十分な証拠関係の下に「Dハブには,設計又は製作の過程で強度不足の欠陥があったと認定でき(る)」とする多数意見には到底与することができない。」

「今後も生起するであろう,科学技術上の論点を有する刑事事件及び事件につき組織としての対応が問われ管理者の過失責任が問擬される事案の処理に関して,本件は多くの反省材料を提供するものといえよう。」

とあります。

 最判平24.2.8は、トラックのハブの輪切り破損の事件であり、最判平23.10.31は、福岡の飲酒運転の事件です。いずれも、事実認定に関し、田原判事の詳細な反対意見が付されています。

 どちらの事件も、事件の結果は悲惨なものであり、今後の再発防止の対策(法改正も含む。)が必要です。しかも、前者では、会社の組織的な情報隠匿行為があり(注:もっとも、この事件での起訴の対象は、従業員である自然人であり、法人ではありません。)、後者では、飲酒運転による事故及びその後の罪証湮滅行為があります。

 しかし、法的に過失責任が問えるのか否かは、個別の事案での事実認定が不可欠です。科学的な証拠や事実を無視してよいわけではありません。そして、当初の見立てが科学的な証拠や事実に沿っていないのであれば、別の筋を検討すべきです。この点は、前者の田原反対意見が、「訴因変更による被告人らの責任追及の可能性について」と題する項で詳述しているとおりです。結論として、過失責任が肯定されるとしても、その理屈が不適切なままでは、事案の解明は不十分なままとなり、同種の事故の再発防止には役立たないというおそれがあります。

 最判平24.2.8の多数意見は、わかりやすい単純な物語に依拠しすぎであるように思います。つまり、ハブの輪切り破損事故が7年あまりの間に16件のという「少なくない件数発生していた」こと及び秘匿情報の扱いとしていたことを以て、予見可能性を肯定しています。
 しかし、本来の基準不適合状態の意義は、田原反対意見が運輸省自動車交通局長の通達を引用して認定するとおりであり、負荷や耐用年数に関し、具体的な事実認定が不可欠です。
 しかも、多数意見は、ハブの摩耗原因説では十分に説明できない事例があることのみを以て「合理的、説得性がある見解とはいえず」、「強度不足のおそれを否定するものとはいえない」と判断しています。しかし、最終的な破損に至るパスは複数存在しうるのであり、十分な説明がつかない事例が存在すること(つまり、別のパスの存在も示唆されること)のみを以て有力な説を一蹴してしまとしたら、その判断は適切ではないように思います。

 様々な事象を説明できるシンプルな理論ほど、科学的には正しいものです。しかし、事象によっては、簡単な説明は困難であり、様々な原因が絡み合っていることもあります(そのような実験結果は、面白くないので論文にはし難い。)。そのような場合にまで、わかりやすく単純な物語を求めると、説明が現実から乖離してしまいます。ストーリーを作ってから実験データを眺めて取捨選択しようとすると、得てしてこのような罠に陥りがちです。田原先生のご指摘は、司法の場に限られたものではなく、サイエンスそのものにも当てはまるように思います。
 将来に向けたビジョンとしては、わかりやすい絵を描くことが必要ですが、過去に起きた事象について、マンガ的なイラストを作って済ませることは、適切とはいえません。