審決取消訴訟の審理範囲

[メリヤス編機事件]
 行政処分の訴訟物は、処分の違法性一般であり、個々の違法事由に限定されるわけではありません。

しかし、特許法の審決取消訴訟では、メリヤス編機事件の最高裁大法廷判決(最大判昭和51年3月10日民集30巻2号79頁)により、審理範囲が限定されています。つまり、新規性及び進歩性に関しては、特許庁で審理された「特定の公知事実との対比における無効の主張」によって審理範囲が画されます。

 この判示には、条文上に直接の根拠があるわけではありませんが、いわゆる前審判断経由の利益(裁判所の前に専門官庁での審理判断を受ける利益)を害さないことが根拠であると説明されています(瀧川先生ほか)。
 もっとも、本願(本件)発明と対比される引用発明とは別に、技術常識や引用文献の記載の意義を明らかにする趣旨で新たな公知技術を主張立証することはできます。
 
[メリヤス編機事件判決の射程と実務]
 メリヤス編機事件判決は、引用発明ごとに審理範囲が画されると判示しています。したがって、裁判所は、審決とは異なる引用文献から新たな引用発明を認定し、新規性及び進歩性を判断することはできません。しかし、審決と同一の引用発明の下、審決とは異なる論理構成で新規性及び進歩性の判断をすることが禁じられているわけではありません。

 例えば、
・主引用発明は審決の認定どおりであるが、相違点の認定が誤っている場合
・相違点の認定までは正しいが、その判断(具体的には、動機づけの有無の判断)が誤っている場合、
裁判所が、審決を取消すことなく、審理を続けても、メリヤス編機事件判決に反するわけではありません。

 しかし、これまでの実務では、審決が結論に至る過程の個々の認定判断について審理し、その中で(結論に影響を及ぼす)誤りがある場合には、新たな論理構成で進歩性の有無を判断することなく、審決を取り消すことが一般的でした(詳細については、高野判事の論文(リーガルプログレッシブシリーズの知的財産訴訟))。

 もっとも、最近では、メリヤス編機事件が許容した範囲内で、裁判所で新たな論理構成についても審理を許容する例も現れています(知財高判平成24年2月8日)。

「以上のとおり,本件審決は,本件発明と引用発明1との一致点及び相違点の認定に誤りがあり,この点において,原告の上記主張には理由があるといわざるを得ない。
しかしながら,特許無効審判を請求する場合における請求の理由は,特許を無効にする根拠となる事実を具体的に特定しなければならないところ(特許法131条2項),同法29条2項の規定に違反して特許されたことがその理由とされる場合に審判及び審決の対象となるのは,同条1項各号に掲げる特定の発明に基づいて容易に発明することができたか否かである。よって,審決に対する訴えにおいても,審判請求の理由(職権により審理した理由を含む。)における特定の引用例に記載された発明に基づいて容易に発明することができたか否かに関する審決の判断の違法性が,審理及び判断の対象となると解するべきである。また,そう解することにより,審決の取消しによる特許庁と裁判所における事件の往復を避け,特許の有効性に関する紛争の一回的解決にも資するものと解されるのである。したがって,対象となる発明と特定の引用例に記載された発明との一致点及び相違点についての審決の認定に誤りがある場合であっても,それが審決の結論に影響を及ぼさないときは,直ちにこれを取り消すべき違法があるとはいえない。」

[どこまで審理範囲を拡大してよいのか]

 行政訴訟の原則、民事訴訟控訴審の審理範囲、さらには侵害訴訟の無効の抗弁には無効理由の追加に制約が設けられていないことを考慮すると、審決取消訴訟の審理範囲を狭くする(特に、メリヤス編機事件判決で許容されたはずの範囲よりも狭く、個別の認定判断の誤りを対象とする)ことには、批判もあります。特に、メリヤス編機事件判決のころと比較して、裁判所の調査官の充実及び専門委員の導入により、裁判所が無効理由を判断する能力が向上していることを理由に、審決取消訴訟の審理範囲の拡張に積極的な意見もあります(例えば、大渕先生)。

 もっとも、裁判所がどれだけ技術的な議論を理解できるのか、必ずしも全幅の信頼をおくまでには至らないように思います。
 最先端の技術であれば、基礎的な科学的素養なしに、技術常識を理解することは困難です。
 成熟した分野でも、権利が密集しているため、特許庁では他の分野と比較して進歩性のハードルを低くして、狭い権利でも成立させている場合があります。そのような分野間のさじ加減を、裁判所がどこまで理解できるのか、疑問もあります。
 調査官の人数も、高裁で11人であり、その人員であらゆる技術分野を担当されています。専門委員も、約200人であり、全ての事件で適任の方を見つけられるとは限りません。

 確かに、審決の相違点の認定及び判断がやや変ではあるけれど、実質的な議論は既に行われており、改めて特許庁でやり直すほどのことでもないという事例はあります。そのような事例について裁判所で審理を進めても、当事者にとって不意打ちになるわけではありません。しかし、全ての事案について、当事者に攻撃防御の機会を与えさえすれば、裁判所で特定の公知発明との対比における無効理由全般を審理できるという考えは、行き過ぎであるように思います。

 仮に、裁判所が、審決の認定判断の誤りを前提として、当事者にさらなる主張立証を促しても、当事者としては、裁判所よりはまず特許庁で技術的な視点での認定判断を望むことも予想されます。