実施可能要件とサポート要件

 日本では、明細書のうち発明の詳細な記載は、当業者が実施できる程度であることが求められ(36条4項1号;実施可能要件)、クレームの記載については、特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載されたものであることが求められます(36条6項1号;サポート要件)。実施可能要件は、発明の詳細な説明に求められる要件であり、サポート要件は、クレームに求められる要件です。
 私は、この2つの要件は、一つの目的(クレームと明細書とを釣り合わせるという目的)を達成するための手段と考えています。本来であれば一つの要件として書ければよいのですが、一つの座標軸では零れ落ちてしまう領域が出てくるため、クレームに見合った明細書を求め(実施可能要件)、明細書をはみ出さないようなクレームを求めている(サポート要件)と考えています。もちろん、今後、二つではなく三つの座標軸がよいとか、新たな切り口で一つの座標軸にまとめられるという説が出現するかもしれません。しかし、現時点では、実施可能要件とサポート要件という2つの座標軸が最善の選択として採用されているのだと理解しています。
 アメリカでも、Ariadのen bancの判決で、開示要件として、実施可能要件(enablement)と記述要件(written description)の2つがあるという従前の立場が確認されています。

 その一方、従前より、どちらか一方で足りるのではないか、重複した要件は不要ではないかという議論があります。上記en banc判決の反対意見も、実施可能要件のみで足りるという考えのようです。
 確かに、2つも要件があると、無効又は拒絶とされる確率は高くなります。しかし、現時点では、2つの要件が必要と思うのです。その理由は、権利を付与すべきでない発明には、サポート要件か実施可能要件か一方のみしか充足していないものがあるからです。
 サポート要件は充足するが実施可能要件を充足しない例は、以下のとおりです。
固体物理学上の理論に裏付けられた新しい素子を開発したとします。当業者であれば、その動作を理解できます。しかし、その素子を現実に作り出すための材料が知られておらず、新たに作り出すための指針も明確ではありません。この新しい素子は、科学によって裏付けられているのですから、サポート要件は充足しています。しかし、実施可能要件は充足していません。
 その逆の例は、以下のとおりです。
 従来技術として、Aという部品とBという部品でできた装置があったとします。Bのみでも使用できるのですが、Aなしでは、オーバーホール及びメインテナンスに費用が嵩むため、現実には、Aが不可避です。研究者が、Bの一種として、B’という部品を開発しました。このB’は、Aなしでも商業的に使用できるという特徴があります。しかし、クレームには、Bのみからなる装置と記載されています。Bのみからなる装置も、採算が採れるか否かはともかく、使用はできるのですから、実施可能要件は充足しています。しかし、この発明は、Aなしでも商業的に使用できるという課題に向けられたものなのですから、クレームは広すぎ、サポート要件を充足しません。

 このように、クレームと明細書のバランスという観点からすると、座標軸が2つある方が適切であるように思います。
 かつては、サポート要件の代替として、侵害論でのクレームの限定解釈が用いられていました。限定解釈を活用する場合には、サポート要件は不要といえるでしょう。しかし、無効の抗弁が新設された今日では、無理な限定解釈の評判はよくありません。Ariadのen bancで、反対意見は、クレーム解釈が明細書にしたがって行われる限り、written descriptionは不要であるといっているように思えるのですが、クレーム解釈にも限界があります。