著作権侵害と一般不法行為

 北朝鮮映画事件の最高裁判決(最判平成23年12月8日)が出ています。
 控訴審知財高判平成20年12月24日)は、北朝鮮の国民が著作者である映画(当然のことながら、映画の著作物に該当します。)について、著作権法6条による保護を受けられないと判断しつつ、無断でその一部を放映したテレビ局に対し、不法行為責任(民709条)を認めたため、話題になりました。
 最高裁は、著作権法6条による保護も否定し、不法行為責任も否定しました。

著作権法は,著作物の利用について,一定の範囲の者に対し,一定の要件の下に独占的な権利を認めるとともに,その独占的な権利と国民の文化的生活の自由との調和を図る趣旨で,著作権の発生原因,内容,範囲,消滅原因等を定め,独占的な権利の及ぶ範囲,限界を明らかにしている。同法により保護を受ける著作物の範囲を定める同法6条もその趣旨の規定であると解されるのであって,ある著作物が同条各号所定の著作物に該当しないものである場合,当該著作物を独占的に利用する権利は,法的保護の対象とはならないものと解される。したがって,同条各号所定の著作物に該当しない著作物の利用行為は,同法が規律の対象とする著作物の利用による利益とは異なる法的に保護された利益を侵害するなどの特段の事情がない限り,不法行為を構成するものではないと解するのが相当である。」


 これまでにも、知的財産法による保護(とりわけ、著作権法による保護)を否定しつつ、一般不法行為責任を認めた事例は存在します(例えば、袋帯の図柄について佐賀錦袋帯事件(京都地判平成元年6月15日)、データベースについて翼システム事件(東京地判平成13年5月25日)、解説書について通勤大学法律コース事件(知財高判平成18年3月15日)、新聞記事の見出しについてYOL事件(知財高判平成17年10月6日))。
 
しかし、これらは、オリジナルの作品について、著作権法2条1項1号の著作物には該当しないと判断するか(佐賀錦袋帯事件、翼システム事件及びYOL事件)、オリジナルと後発作品とは、アイデアはともかくとして表現のレベルでは共通性があるとはいえないと判断した事案です(通勤大学法律コース事件)。つまり、これらの事例は、

(1) 著作権法の保護対象である著作物の範囲の外側に、著作権法では救済を受けられないものの、なお保護すべき法益があるという判断がなされた事例か、
(2) 著作権では表現しか保護できず、アイデアは保護されないが、表現とアイデアのとの区別は現実には必ずしも明確ではなく、表現のレベルでは共通性がないとしても、何らかの保護を与えてもよいという判断がなされた事例

と評価できます。
 
 現在の著作権法では、価値のある利益を全て保護対象としているわけではありません。社会の変化に応じて、データベースなど新たなタイプの成果物が生じてきます。保護対象を立法によって拡張させることが筋ではありますが、強力な利益団体を味方につけたグループはともかく、立法による解決は容易ではありません。そして、著作権法一般について、アイデアと表現の二分論というドグマを現実の世界に適用することは、容易ではありません。
 そこで、著作権法では救済できない利益について、不法行為責任による救済を認めることには、合理性があります。そして、不法行為責任による救済は、金銭賠償のみですので、差止めのない柔軟な解決策として有益です。
 しかし、その救済は、上記のような例外的な場合に限られるはずです。

 その一方、北朝鮮映画事件のオリジナル作品は、著作物そのものです。この事案は、著作物の外に(又は表現の他に)なお保護すべき法益があるという事案とは異なります。この著作物について、著作権法6条によって保護が受けられないのであれば、不法行為による救済も否定されるべきです。したがって、最高裁の結論は妥当と思います。

 最高裁判決は、不法行為責任を否定した後、「仮に」から始まるパラグラフで、以下のとおり判示しています。

「仮に,1審原告X1の主張が,本件放送によって,1審原告X1が本件契約を締結することにより行おうとした営業が妨害され,その営業上の利益が侵害されたことをいうものであると解し得るとしても,前記事実関係によれば,本件放送は,テレビニュース番組において,北朝鮮の国家の現状等を紹介することを目的とする約6分間の企画の中で,同目的上正当な範囲内で,2時間を超える長さの本件映画のうちの合計2分8秒間分を放送したものにすぎず,これらの事情を考慮すれば,本件放送が,自由競争の範囲を逸脱し,1審原告X1の営業を妨害するものであるとは到底いえないのであって,1審原告X1の上記利益を違法に侵害するとみる余地はない。」

 この判示事項からすると、もし、第三者が、問題の映画をほとんど全て放映するような行為を行うと、不法行為が成立する余地があるようにも解されます。
 しかし、上記の第三者の行為によって害される「営業上の利益」は、何に依拠しているのでしょうか。著作権法による保護が受けられないのであれば、我が国では、1審原告は、問題の映画の利用行為を独占できず、映画の利用行為を独占することによる営業上の利益も享受できません。結局、著作権法による保護を否定すると、この事案では、営業上の利益も想定し難いのではないかと思います。