技術分野の相違と動機づけ

 知財高判平成24年1月16日判決(平成23年(行ケ)第10130号)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120118085934.pdf
では、
http://d.hatena.ne.jp/oneflewover/20120603/1338735401
で触れた相違点とは別の相違点の判断について、審決には誤りがあるとして、審決が取り消されています。
相違点の判断に関する判示箇所は、一見したところ分かりにくいのですが、その趣旨は、副引用技術の適用範囲が主引用発明に及ぶとは当業者は認識なかったというものであるようです。しかし、その論旨は、大変わかりにくいという印象を受けます。

 主引用例(甲1)は、衝撃に脆い物品(被着体)を保護するための表面保護粘着シートを開示します。衝撃に脆い物品を保護するための資材としては、クッション用のシート(いわゆるプチプチ)が思い浮かびます。しかし、クッション用のシートを単独で使用したのでは、シートと被着体とがずれて隙間が生じるという問題があります。その問題を解消するため、シートに強固な粘着剤層を設けると、シートと被着体とが密着するものの、シート使用後にシートを剥がそうとしても、うまく剥がれないという問題が別途生じます。したがって、ポストイットのようなクッション用シートが望まれます。
 引用例では、その手段として、基材(ポリオレフィンフィルム)に特定の粘着力(0.70-25N/50mm)の粘着剤層を形成し、この[基材+粘着剤層]をクッション用のシートに上に貼り合せるという構成を採用していました。

 本件発明でも、解決しようとする課題は、引用例と同様です。ただし、解決手段として、[基材+粘着剤層]という2層構造ではなく、「ポリオレフィン系樹脂を30重量%以下含有する水素スチレン・ブタジエン系共重合体とポリオレフィン系樹脂とのブレンド物」を原材料とする1層のライナーフィルムを採用しました。
このようなブレンド物のシートが適切な粘着性を有し、粘着と剥離とを繰り返すことができることは、公知でした(甲2)。
争点は、甲1の主引用発明に甲2の副引用技術を適用する動機づけがあると評価できるか否かです。
判決の判断について、以下、順を追ってみていきます。

「積層体の発明は,各層の材質,積層順序,膜厚,層間状態等に発明の技術思想があり,個々の層の材質や膜厚自体が公知であることは,積層体の発明に進歩性がないことを意味するものとはいえず,個々の具体的積層体構造に基づく検討が不可欠であ(る)」
 
「一般論としても,新たな機能を付与しようとすれば新たな機能を有する層を付加すること自体は容易想到といえるとしても,従来複数の層により達成されていた機能をより少ない数の層で達成しようとする場合,複数層がどのように積層体全体において機能を維持していたかを具体的に検討しなければ,いずれかの層を省略できるとはいえない」

 この点は、何の異論もありません。
 もっとも、「複数層がどのように積層体全体において機能を維持していたか」ということは、従来技術に接した当業者が必ず理解しようとする事項です。

「二層の機能を一層で担保できる材料があれば,二層のものを一層のものに代えることが直ちに容易想到であるとはいえない。目的の面からも,例えば材質の変更等の具体的比較を行わなければ,層の数の減少が製造の工程や手間やコストの削減を達成するかどうかも明らかではない。」
 
 前述のとおり、当業者にとって「二層の機能」が明らかになっているからこそ、その機能を一層で担保できるということがわかるのです。
一般的に、工程の数や要素の数が少ない方が良いのですから、「二層のものを一層のものに代えること」は、研究開発の立場からすると、当然に検討すべき事項であるように思えます。

「引用発明2は,粘着剥離を繰り返せる標識や表示として使用される自己粘着性エラストマーシート(いわばシール)に関する発明であって,被着体の運搬・施工時の衝撃から被着体を保護するための気泡シートに関する発明である引用発明1Aとは技術分野ないし用途が異なるものである。」
 
 結局、この評価に尽きるのだろうということは理解できます。

「当業者は,発明が解決しようとする課題に関連する技術分野の技術を自らの知識とすることができる者であるから,気泡シートの分野における当業者は,引用発明1Aが「粘着剤層32」を有していることから「粘着剤」に関する技術も自らの知識とすることができ,「粘着剤」の材料の選択や設計変更などの通常の創作能力を発揮できるとしても,引用発明1Aを構成しているのは「粘着剤層32」であるから,当業者は,気泡シート内でポリオレフィンフィルム31上に形成されている粘着剤層32に関する知識を獲得できると考えるのが相当であり,両者を合わせて気泡シートの構造自体を変更すること(すなわち,「ポリオレフィンフィルム31上に形成されている粘着剤層32」という二層構造を,気泡シートの構造と粘着剤の双方を合わせ考慮して一層構造とすること)まで,当業者の通常の創作能力の発揮ということはできないというべきである。」

 背景にある思考回路として、技術分野を限定的にとらえようとすることは窺えるのですが、この判示には、にわかには理解しがたいものがあります。
 上記の判示箇所によると、気泡シートという積層構造体の当業者は、従来技術の層構造は所与のものと受け止め、個々の層の材料は検討するけれど、層構造の検討はしない、ということのようです。
 しかし、起泡シートという積層構造体の分野では、当業者は、個々の材料の専門家というよりも、積層の専門家であるはずです。したがって、積層構造を変えることにも創作能力を発揮するはずです。
 
 甲2(副引例)は、標識や表示に関する発明です。従来の標識や表示は、金属又はプラスチックシートに粘着剤層を設けた2層構造であり、バス停留所、駅構内、デパート、オフィスビルなどの各種の標識に使用されていました。もっとも、この従来の標識では、綺麗に剥がすことが難しく、再度粘着させることも困難でした。

 甲2は、その代替として、自己粘着性エラストマーシート(粘着剥離を繰り返すことができます。)を採用し、その表面に印字することによって、粘着剥離が可能な標識を提供します。つまり、甲2も、本件発明と同様、2層構造を1層構造とし、粘着剥離を可能にしています。
もっとも、甲2の発明は、交通機関やビル内などの標識に関する発明です。甲2の分野は、甲1の起泡シートとは相当に隔たりがあります。
 しかも、甲2の発明は、自己粘着性エラストマーという単層の構造体に関します。仮に、副引用発明が、何らかの機能を有するシート(例えば、光の反射材)を粘着剥離可能にするため、自己粘着性エラストマーを貼り付けたというものであればともかく、甲2の自己粘着性エラストマーは、甲1の[基材+粘着剤層]とは異なります。甲1の[基材+粘着剤層]は、単独で使用されるのではなく、起泡を含有するシート層を粘着剥離可能とするため、当該シート層に貼り付けられています。

 判決では、技術分野の相違を前面に押し出すことを嫌ったせいか(最近では、進歩性を否定する場面で技術分野の共通性を挙げることは、大変評判が悪くなっています。)、余計な説明を加え、却って理解しがたくなっているように思います。