要旨認定と技術的範囲の解釈

 日本の特許法では、侵害の場面での権利範囲の解釈(特許法70条の技術的範囲の解釈)にあたっては、必ず(クレームの文言が明確であろうとなかろうと)明細書の記載が考慮されます(例えば、知財高判H17.12.28)。そのため、クレームの文言だけを見ると権利範囲が広いようでも、実際には狭い権利と判断され、非侵害となることがあります。
 その一方、特許性の判断の場面での発明の解釈(いわゆる発明の要旨認定)では、クレームの文言が一義的に明確である場合、明細書の記載を考慮しないとされています(いわゆるリパーゼ判決(最判H3.3.8))。そのため、クレームの文言が広い場合には、広いクレームとして、先行文献の調査が行われ、新規性又は進歩性欠如の拒絶理由が出されます。
 このように、侵害の場面と特許性の判断の場面とでは、クレーム解釈の基準が異なっています。

 このようなプラクティスはダブルスタンダードであるという批判もありますが、少なくとも、審査の段階(権利付与の段階)と侵害事件が発生した段階とでは、基準が異なってもよいのです。
 審査の時は、なるべく多くの先行技術を見つける必要があります。世の中で、先行技術調査の能力が最も高い組織は、特許庁なのですから、その能力を効率的に使うには、先行技術調査の範囲を広げ、一回で漏れなくサーチをかけた方が良いのです。特許庁が発明を狭く解釈して、先行技術を十分に調査できないまま権利を付与すると、権利者は、発明を広く解釈して権利行使に及びかねません。このような不都合を避けるためには、権利付与の段階では、発明をできる限り広く解釈すべきです。一般論としては、明細書を考慮に入れるほど、発明の範囲は狭くなるので、権利付与の段階では明細書を考慮に入れないという方針は合理的です。
 その一方、侵害事件の段階では、被告製品が現実に存在しており、特許発明と被告製品とを対比して妥当な結論を導くことが重要です。そのためには、被告製品がクレームの文言に形式的に収まってしまうようにみえても、明細書に開示された実質を考慮して、非侵害とすることが求められる場面もあります。
 つまり、クレーム解釈の基準は、審査の段階と侵害判断の段階とでは、異なるのが当然です。
問題は、どこで、その基準を変えるのかということです。
 一つの方法は、時間的な要素によって基準を変える(つまり、特許庁の審査では広く、侵害裁判所では(侵害の判断でも有効性の判断でも)狭く解釈する)ことであり、もう一つの方法は、判断の対象によって規準を変える(有効性の判断では広く、侵害の判断では狭く解釈する)というものです。前者はアメリカ流、後者は現在の日本流といえるでしょう。

 アメリカでも、審査段階では、合理的な限りクレームを広く解釈し(In re Zeltz)、侵害事件の段階では、明細書を参酌して権利範囲を解釈する(Phillips)のですから、実際の運用はともかくとして、そのポリシーは、日本と共通します。
 その一方、アメリカの裁判所は、日本の裁判所と違い、従前より、権利侵害と有効性の判断との両者を行ってきました。そして、裁判所の有効性の判断と、審査段階での有効性の判断とでは、発明の範囲の解釈は異なるという認識があるようです(In re Morris)。
 結局、アメリカは、権利付与の段階と侵害事件との段階という時間的な要素でクレーム解釈の基準を変えています。そのため、権利付与の段階で有効性を判断する際と、侵害事件の段階で有効性を判断する際とでは、発明の解釈が異なりうるということになります。
 しかし、侵害事件の段階に至ると、侵害についても有効性についても、クレーム解釈の基準は同じです。

 日本の場合、キルビー判決まで、裁判所は特許の有効性について判断しないという状態が長く続いてきました。そして、キルビー判決後、裁判所による有効性判断を立法で認めるにあたり(特許法104条の3の新設)、裁判所の有効性判断は、特許庁の無効審判での有効性判断を踏襲することにしました。そして、特許庁では、権利付与の段階(審査段階)と、無効審判の段階とでは、発明の要旨認定の基準に差はありません。
 その結果、日本の場合、侵害の判断と有効性の判断とによってクレーム解釈の基準を違えることになりました。しわよせを食っているのが侵害裁判所です。原理的には、同じ裁判体が、構成要件充足性ではクレームを狭く解釈し、有効性の判断では広く解釈するということが生じてしまいます。

 実際には、構成要件非充足であれば、有効性の判断はしなくてよいわけですし、特許無効の判断を先にしてしまえば、構成要件充足性の判断をしないということもできます。そして、現実の紛争になるクレームでは、明細書を読まざるを得ないという事案がほとんどです。そのため、原理上はダブルスタンダードでも、実際にはシングルスタンダードで済んでいます。
 前述のように、特許庁の審査と侵害の判断の場面とでは、クレーム解釈が異なる方が自然であるように思います。問題は、侵害裁判所での有効性の判断をどちらの解釈によって行うのかという点です。現在のダブルトラックの下では、特許庁でも有効性の判断が並行して進むということを考慮すると、侵害裁判所でのダブルスタンダードも致し方ないと思います。

 リパーゼ判決は,予想以上に劇薬であったのかもしれません。判例解説(現在の塩月部長のご担当)では、「発明の要旨を認定する過程においては、発明にかかわる技術内容を明らかにするために、発明の詳細な説明や図面の記載に目を通すことは必要であるが、しかし、技術内容を理解した上で発明の要旨となる技術的事項を確定する段階においては、特許請求の範囲の記載を超えて、発明の詳細な説明や図面にだけ記載されたところの構成要素を付加してはならない」とされています。
 つまり、発明の理解のためには、かならず、明細書を読むのですね。ただし、限定解釈のしようがない場面(例えば、クレームの用語が「リパーゼ」というテクニカルタームである場合)に、勝手に明細書を読み込んではいけない、というのが、リパーゼ判決の趣旨であるように思います。そもそも、リパーゼ事件の事案は、本来であれば、36条違反で拒絶理由を打つべき事案です。
 それにもかかわらず、明細書を読まずに29条1項又は2項で拒絶理由を打ち、明細書を読んだら36条で拒絶理由を打つというのでは、審査で手抜きをしているように思います。
 もともと、リパーゼ判決が適用される事例が、限定的であったのではないでしょうか。